今回は英語について日頃考えている書こうと思う。
上海に来て日常的に使うようになり、中国語習得のために使わないようにはしているが非常に助けられているし、より深いコミュニケーションを可能にしてくれている。
ノンネイティブとして英語を使っていると語学のことだけでなく文化、歴史、いろんなことを考えることがある。
いままでよく‘英語できるの?’と聞かれても‘ある程度は、、、’とか答えていたし自分でもそれほどできる実感もなかった。
しかし上海に来てからはもうできると言ってしまうようにしてる。
自分はネイティブレベルでなければいけないと言い聞かせ無理やりそのレベルにするためだ。
‘英語ができる’という中には非常に多くのレベルが含まれていると思う。
どれだけ勉強しても辞書をめくると知らない単語に出会うし、発音もなかなか難しい。
この前なんて‘R’の発音をイギリス人に笑われた。
ソフィアコッポラのlost in translationの日本人の発音だ!って。‘are you traveling?’というフレーズもいまだに通じにくい。
僕にのレベルは‘英語ができる’の底辺だと思う。
先日そのことを再確認させられ、やる気にされられる出来事があった。
数日前に、前のエントリーでも紹介したM50にアメリカンジャパニーズのaritistのレクチャーを聞きに行った。
ギャラリーのイベントはフリードリンク、フードが用意されていることが多いのでうれしい。
今回のレクチャのテーマはwhy we need art。
深いテーマだ。
国際都市上海なだけありall Englishのレクチャー。
だいたい理解できるだろうという軽い気持ちでいったのだが、、、
わからない。言っている意味や単語はわかるのだが話がつながらなく何が言いたいのか理解できない。
アーティストのレクチャー。
ビジネス関係のプレゼンとは違い、何を伝えたいのかがつかみにくい。
きっと日本語で聞いても難しいのだ。
しかし一緒に聞いていた香港のenglishネイティブはだいたい理解していた。
英語は世界の共通語だ。
英語を話すということは国際的感覚をもっていることが前提になる。
映画などにはある知識がないと理解できない場面が多々でてくる。
例えばcrashという映画のワンシーン。
この映画はLAで様々な人種が差別と偏見とぶつかりあうドラマを描いているのだが人種差別のシーンは日本人には非常に分かりにくいと思う。
パキスタン移民が‘オサマ、家に帰れ’と言われる。オサマとは9.11の首謀者と見られているオサマ・ビンラディンのことだ。
これはアラブ系、ムスリムの人への差別。実際パキスタンとオサマはあまり関係がない。
しかし容姿だけでオサマと関連づけられたりする。ひどい差別だ。
これも国際的知識の一つ。
レクチャーの大筋が理解できなかったのも英語能力だけでなくこういった感覚が足りなかったのもあると思う。
また英語を使っていると文化を学ぶ機会も多い。
少し前にドイツのコンサルティング会社のインターンの面接に行ったときのことだ。
ビジネス英語を使うことは始めてだったのでかなり緊張した。
お互いの自己紹介から始まり、会社の説明、インターンでの仕事内容、という順に進んでいった。
その次に聞かれたことに驚いた。
‘じゃあ、君はどういう人?’
外資のjob interviewは自分を思いっきりアピールしないといけない。
自分はどんな特技をもっていてこの会社に入るとどれほど役に立つかと。
外資の会社だからどうこうでなく自分のしっかりしたビジョンと自己分析があれば対応できたことだ。
日本の就職活動でも大切なことに違いない。
文化に対応するし、そのことをこれからの長所に変えなければならない。